マドモアゼル・愛さんのブログから
2010年 10月 23日
人の運勢を上からもしみることができたなら、
たとえば、不運とは、道を進み進み曲がり曲がり、
あとひとつの角を曲がったなら
、求めるものに出会えるにも関わらず、最後の角を曲がらずに引き返してしまう、、、
というケースが多いはずだ。
角を7つも8つも我慢して曲がってきているのに、最後の角を曲がらずに引き返す。
そこに幸運があったのに、、というケースが不運の方程式でもある。
では、なぜそうしたことが起こるのか。
7つないし8つの角を曲がっているときには、
多少の期待がまだあるから人は角を曲がって進むのである。
しかし、もう最後の最後にはあきらめとなり、
この角を曲がることへの失望に耐えられない、、、と弱気になり思ってしまう。
人情としては極めて自然なことだが、実はそこに宝があるということになる。
開運とは、あきらめきった角を曲がるということでもあり、
何の期待もないところまで行ったときにこそ開けるものがある、
ということになる。
この方程式を知っていれば、ああ、いま、自分はあきらめている、、、
もう期待も何もなく、これ以上、傷つくことにはもう耐えられない、、、と、
そう思った時がチャンスということになる。
たとえば、不運とは、道を進み進み曲がり曲がり、
あとひとつの角を曲がったなら
、求めるものに出会えるにも関わらず、最後の角を曲がらずに引き返してしまう、、、
というケースが多いはずだ。
角を7つも8つも我慢して曲がってきているのに、最後の角を曲がらずに引き返す。
そこに幸運があったのに、、というケースが不運の方程式でもある。
では、なぜそうしたことが起こるのか。
7つないし8つの角を曲がっているときには、
多少の期待がまだあるから人は角を曲がって進むのである。
しかし、もう最後の最後にはあきらめとなり、
この角を曲がることへの失望に耐えられない、、、と弱気になり思ってしまう。
人情としては極めて自然なことだが、実はそこに宝があるということになる。
開運とは、あきらめきった角を曲がるということでもあり、
何の期待もないところまで行ったときにこそ開けるものがある、
ということになる。
この方程式を知っていれば、ああ、いま、自分はあきらめている、、、
もう期待も何もなく、これ以上、傷つくことにはもう耐えられない、、、と、
そう思った時がチャンスということになる。
by ochichiro
| 2010-10-23 20:38
| 占い